院試塾ブログ
インターネット大学院予備校代表・畑中泰道のブログ

29 September

ぼくがブログを書く理由

 ぼくがなぜこのブログに記事を書いているのか,疑問に思っている人もいるかもしれない。なかには過激な内容もあり,営業的にマイナスになるのではないかと心配(?)してくれている人もいるだろう。
 9月24日の記事「マッチングの重要性−教育を本当によくするために」にも書いたが,ぼくはマッチングが重要だと真剣に思っている。厳しくコメントされることを希望している人には,院試塾の指導はとても有益だろう。しかし,「お客様」として接してほしい,ただ持ち上げてほしい,という人が院試塾で指導を受けても,意味がないばかりか,自信をなくしたり反感を覚えたりするだけだろう。ぼくは,そういう人からお金をとって指導することをよしとはしない。
 となると,そういう人はなるべく来ないように,そして逆に,ぼくの指導方針に共感してくれる人ができるだけ多く集まってくれるように,ぼくの考え方やスタンスをあらかじめ知ってもらえるような機会が必要だ。院試塾トップページにもかなり過激なことを書いてきたが,ぼくの考えの「今の姿」を知ってもらうために,このブログを書いていこうと思う。
22:37:37 - yhatanaka - No comments - TrackBacks

カプセルホテル考

 カプセルホテルというのは何とも不思議な空間だ。
 東京ではちょくちょくカプセルホテルを利用する。もちろん,居住性の点から言うと,一般的なビジネスホテルにはかなわない。荷物は全部ロッカーに入れることになって手元に置けないのは不便だし,隣のテレビの音やいびきが気になることもある。せめて寝台列車のB寝台個室程度にならないものかと思うこともある。
 カプセルと外とを隔てるのは厚手のブラインド・カーテン1枚で,カギはないことが多い。カプセルの設備はテレビ,ラジオ,目覚まし時計と照明くらいである。面積はおよそ1畳。座高の高いぼくでも,かろうじて半身は起こすことができる。
 カプセルホテルに泊まるのは,なんと言っても安いからである。東京都内で5000円未満のビジネスホテルを探すのはかなり難しいが,カプセルホテルなら3000〜4000円が相場である。ぼくがいつも使っているところは4200円だ。
 安ければよいというものではない。なかには,タダでも遠慮したいと思うようなところもある。もちろん,外に寝るよりはマシなのだが,治安・風紀・衛生の面で問題のありそうな(あるいは,現にある)ところもあり,注意を要する。こういうことは中に入ってみるまでわからない(その時にはもう料金を払ってしまっている)から,すでに入ったことがあってよくわかっているところか,信頼できる筋の情報に頼ることになる。
 こうした違いはどこから生じるのか。もちろん,古いか新しいかということもある。しかし,それだけではないだろう。ぼくの定宿にしているところは,「管理」が比較的しっかりしている。イレズミや酔っぱらいお断りをうたっているところは多いが,きちんと守っているかどうかは疑わしい場合もある。しかし,ぼくの定宿はその点がしっかりしている。実際に支配人が泥酔者を連れてきた人に,きちんと理由を話して断っているのを見たこともある。おかしな連中もあまりいない。主張すべきことはきちんと主張し,道理はきちんと通す。実にすばらしい。目の前の1人の客を断っても,きちんとしてリピーターを,ということだろうか。だから,ここを紹介するとみんな気に入ってくれる。
 教育でもこうありたいものだ。
22:12:16 - yhatanaka - No comments - TrackBacks

ぼくの大学教育論

 ぼくの仕事の1つに,大学での情報教育がある。大学での情報教育であるから,単なるコンピュータ教育ではいけないと考えて授業を行っている。
 まず第1に,大学での教育は学問につながるものでなければならない。これは情報教育でも同じである。つまり,情報教育を通じて,学生の学問研究・学習能力が向上しなければならないと考える。そのためには,研究・学習のための情報の収集,整理,加工,発信の能力養成に焦点を合わせ,教育内容を策定しなければならないはずだ。また実習課題も,単にコンピュータ教育で典型的なものではなく,研究・学習の具体的な場面を想定したものにすべきだろう。
 第2に,大学の教育内容は「大学ならでは」のものであるべきだ。つまり,市井のスクールでも学べるような内容を扱うのではなく,大学でなければできないような内容の教育を提供すべきだろう。情報教育について言えば,一般のコンピュータ・スクールで学べるような,アプリケーションの一般的な利用法ではなく,大学でしか教えることのできない,知的教養の涵養につながるような内容を扱うべきである。
 第3に,大学での教育は,学生にある程度の自学自習を要求すべきである。たとえば,一般書店で入手できるような解説書を読んで自習すればすむような内容は,授業で扱わずに自習するよう指示すべきであろう。また,理解よりも訓練の必要な内容,たとえば情報教育で言うとタイピングなどは,授業で扱う大きな意味はないと考える。これらは授業時間を充てるにしても限度があり,結局は学生自身が自ら取り組むしか上達の途はない。
 私自身はこのように考え,それにもとづいて授業を行っているが,どうも最近旗色が悪い。最終的には,「教養主義」対「消費主義」の戦いであると言っても過言ではないかもしれない。しかし,こんにちの日本の大学は,消費主義に傾きつつあるように思われる。
 あぁ,誰かが「水戸黄門」のように現れて,消費主義の過ちを正してはくれないものだろうか。大学は最後の砦なのだから。
16:49:21 - yhatanaka - 1 comment - TrackBacks

28 September

研究者としての院試塾代表

 院試塾では「研究」が大きなキーワードとなっていることは,Webサイトやこのブログのの記事からもわかっていただけると思う。今日は,このように「研究」と人に常々言っているぼく自身がどんな研究をしているのか,その一端を紹介しよう。
 院試塾代表として,というとすぐに思いつくのが,大学院自体の動向や出題傾向の研究だろうが,ぼくはこういう「傾向と対策」的な研究はしていない。しかもこれらは,ぼくが常々問題にしている「研究」ではない。
 今ぼくがいちばん力を入れているのが,「研究の研究」とでも呼ぶべきものだ。つまり,学問研究とはどのようなものであるかを研究するのである。先人が蓄積した「研究とは何か」「知的生産はどうあるべきか」といった内容のものを読み,そこから「研究のありよう」について自分なりの答えを組み立てる。その成果の一部は,院試塾のWebサイトやこのブログなどで公開している。また,「研究計画書作成指導」の指導で活用するのはもちろん,「社会人のための大学院研究生活入門ゼミ」といった新たな講座の基礎となるコンセプトともなっている。
 英語の指導のためには,主に認知言語学の文献を読んでいる。現在のところ,これは胸を張って「研究」と言えるもの,つまり相当のオリジナリティを持つレベルまでには至っていない。今後は特に,文脈と語・句・文の解釈の具体的な関連性について考え,できればそれを体系化して英文読解の指導に応用できないかと考えている。
 ぼくは院試塾の仕事以外に,大学の非常勤講師をしている。担当は情報教育だ。大学の情報教育は,単なる情報機器操作の解説だけで終わってはならないと考えているので,コンピュータを活用しながら文章を書き,知的生産を行う能力が養成できるよう,講座内容を設計している。大学用の教科書などを見ても,こうした取り組みはあまりないようで,教えている内容も,コンピュータ操作の項目としては扱われていても,具体的な知的生産との結びつきという点では,ある程度のオリジナリティがあるのではないかと考えている。もちろん,さらに精緻化・体系化が必要であるのは言うまでもない。なお,この研究課題は,院試塾の研究課題とも共通する部分が多い。むしろ,院試塾での研究課題の応用と考えたほうが適切かもしれない。
 上記3つの研究分野は,主に指導や授業として結実するもので,さらに厳密な意味での「研究」とは言いにくい部分もある。少なくとも,これらの成果は論文として発表されてはいない。ぼくの研究活動の中で,唯一公刊された業績があるのは,実は歯科医療と社会科学の接点に関する研究である。昨年,歯科医療に関する保険診療の経済学的考察を知人の歯科医師と共著で発表した。また,今年末から来年にかけては,歯科医療の消費社会化に関する論文の連載を,やはり共著で予定している。なぜ私がこのような研究に着手するようになったかについては,これ自体興味深いテーマでもあるのでいずれ稿をあらためることにするが,自分自身がこうした研究活動を行っていることは,直接関連はないにしても,院試塾での指導に大きく影響していると思う。
21:35:40 - yhatanaka - No comments - TrackBacks

27 September

研究計画書の本質

 研究計画書とは何か。この点について,本質を突いた認識が必要である。
 研究計画書とは,単なる入学のための書類の1つではない。しかし,このようにとらえている人は多いようだ。「書かされている」というとらえ方をしているかぎり,よい研究計画書は書けない。
 では,どのようにとらえればよいのか。ぼくは3つの大きな働きを考えている。1つは,研究について,また研究を行うための自分の適性について,真剣に考える過程である。2つ目は,本格的研究への準備,つまり助走である。3つ目は,効率よく継続的に研究を進めていくうえで必要な「研究マネジメント」の基礎訓練である。もちろん,これら3つに対応する能力がある程度あることをアピールするためのものだとも考えてもよいだろう。
 上の3つについて,もう少し詳しく見ていくことにしよう。第1の「研究について真剣に考える」という点だが,これは主に「研究とはどのような営みであるか」という認識を深めることと考えられる。まず何と言っても,大学院は研究の場であることをしっかりと認識しなければならない。専門職大学院であっても,単なる知識の伝授の場ではなく,実務における問題解決の能力を高める場と考えなければならない。なぜなら,実務での問題解決も,結局は広い意味での「研究」というアプローチをとる必要があるからだ。つまり,情報を収集・整理・活用しながら問題解決に向かって考え,考えたことを実行に移すという一連の作業がもっとも定型化されているのが学術研究であると言えるだろう。専門職大学院でも,実際に学術的な考え方に触れ,その手法を学びながら実務への応用を考えることが求められる。
 また,これに関連して,個々の知識はすぐに陳腐化するという点にも注意が必要だ。これに対して,体験的に習得した研究の「方法論」や「戦略」は永続的な性質を持っている。大学院で身につけるべきは,いうまでもなく後者である。このためには,研究的アプローチの重要性を十分認識し,independent learner / thinkerになれるよう,常に考えておくことが要求される。
 研究計画書は,このような「研究」のありようを理解したうえで,それについて真剣に考えた結果を書くものだと言うことができる。
 続いて第2のポイントである,「本格的研究への準備」という点について考えてみよう。2年間で所定の研究を遂行するためには,ある程度の準備ができている必要がある。また,研究のための基本的な準備として,学術研究の基本的手法を理解し,自分の解決したい問題を次第に明確にしながら,その問題の構造を把握しておくことも大切だ。そのためには,関連する文献などを読み,それらの見解と自分の問題との関連を明確に意識しながら,研究の具体的な方法をある程度詰めておく必要がある。このための作業がすなわち研究計画書を書くことであり,完成した研究計画書はその作業の成果であると言うことができる。
 第3の「研究マネジメント」だが,研究には計画性が必要であり,またその計画に沿って研究を進め,一定期間内に成果を出すことを要求される。単に自分で本を読んで考えるのではなく,大学院という公式の場で,公式な形で研究を進めていく以上,このように研究をmanageする能力が必要となる。研究計画書で具体的かつ実行可能な研究計画を提示しようとすることで,研究マネジメントの基礎訓練を行うことができる。また,実際の研究計画書を読んで,読み手である大学の教員は,提出者にそうした能力があるかどうかを見きわめるのである。
 最後に1つ。「こうした能力を身につけたいから大学院に行くのであって,こんなことができるなら大学院で学ぶ必要などないではないか」という反論が出そうだが,大学院入試は競争試験でもある点を忘れてはならない。こんな甘いことを言っている受験生と,上記のようなことをしっかりとできている受験生を比べて,どちらを入学させたいと思うか,よく考えてみる必要があるのではないか。
16:39:23 - yhatanaka - No comments - TrackBacks