院試塾ブログ
インターネット大学院予備校代表・畑中泰道のブログ

05 January

学問の根本

 2005年の年頭にあたって,学問の根本について確認しておきたいと思う。
 まず,学問とは自分でするものである。もちろん,他人に教えを請うことも時には必要だ。しかし,自らすすんで学問しないかぎり,最終的には自分のものにはならない。表面的に,他人から整理された情報を与えてもらって「その気になる」ことは不可能ではない。しかし,それは決して自分のものにはならない。本当の意味で自分のものになるのは,苦労して自分で得たものだけだ。
 自分で学問をする根本は,少なくとも人文・社会系の学問に関するかぎり,「本をしっかり読むこと」,そして本から得た知識を元に「自分の頭で考えること」である。極論すれば,知識自体は忘れてしまってもかまわない。大切なのは,考える方法論を身につけることである。この方法論をきちんと身につければ,未知の問題についても「学問する」ことが可能である。知識を身につけても,それだけでは結局何もならない。なぜなら,知識自体はすぐに陳腐化するからだ。知識が急速に陳腐化する現代社会においては,知識だけを身につけていること,ないしは何かを「手続き」「手順」だけで身につけていること自体にはたいした価値はない。しかし,考える方法論を身につけ,自ら学問を実践する能力をいったん身につければ,それは「一生モノ」となる。
 「読む力」は特に重要だ。自分の考えを他者の考えと関連づけながら定位し,自分の考えをそこから展開するためには,正確な読解力が必要不可欠である。場合によっては,外国語文献の読解力も必要となるだろう。読む際に特に注意すべきが「予備知識」の問題である。書いてあることを正確に理解するうえで,予備知識は必要不可欠である。しかし一方で,予備知識が「思いこみ」となって,正確な読解の妨げとなることも多い。結局このバランスは,苦労して読みながら身につけていくしかない。
 結局大切なのは,自ら学問する姿勢である。くり返しになるが,学問とはお手軽に他人から「教わる」ものではない。「知的格闘」に自分から挑むことこそ,学問への本当の入口である。今年も院試塾は,こうした「知的格闘」を本当に求める人の案内役を買って出たいと思う。しかし,お手軽な知識の供給源には決してならない。なぜなら,学問に関わるものにとっては,これが結局「自殺行為」となるという信念があるからだ。学問が手軽に苦労せずにできるようになると考える安易な人間が増えることは,学問にとっては脅威である。
22:19:05 - yhatanaka - No comments - TrackBacks