院試塾ブログ
インターネット大学院予備校代表・畑中泰道のブログ

30 November

英英辞典入門—挫折せずに使い続けるために

 英語の学習がある程度進むと,英英辞典を使ってみようと思うかもしれない。教師からそう進められている人もいるだろう。しかし,実際に使い始めるとわかるが,意外に敷居が高い。いちばんよく聞かれるのが,「定義のなかにわからない語句が出てきたときに,連鎖反応的に引いていかなければならないのが大変」という感想だ。
 英英辞典はどのような場合に使うのがよいか。内容の単純な名詞,たとえばdeskなどを引いてもあまり意味がない(それでも時には意外な発見があったりするものだが)。よく言われる基準は「英和辞典を引いてみて訳語があまりピンとこないときに使う」というもので,実際この基準で考えてみるとよいと思う。たとえば,identityという語を『ジーニアス英和辞典』で引くと:

  1. 本人であること,同一物であること;自己同一性,(自己の)存在証明,生きた[ている]証し;身元,正体

  2. 《正式》[…と]同一である[類似している]こと,一体性,[…との]同一性[with];一致点

  3. 個性;独自性,固有性,主体性;(作家・芸術家などの)作風;芸風


といった意味が列挙されているが,identityとはつまり何なのかはあまりピンとこないだろう。英和辞典が訳語でもとの語の意味を表そうとするために生じる限界であると言える(この点については,10月25日の記事「英語を学ぶとはどういうことか?」を参照)。
 これが英英辞典ではどう説明されるか,Longman Dictionary of Contemporary Englishで見てみると以下のようになる。

  1. someone's identity is their name or who they are

  2. the qualities and attitudes that a person or group of people have, that make them different from other people

  3. exact similarity between two things


1.が「本人であること」,2.が「独自性」,3.が「同一性」におおむね相当するが,日本語の訳語に「置き換え」るのではなく英英辞典では「説明」が与えられるので,意味がより深く理解できるのだ。
 しかし,この定義文のなかに未知の語句が出てきたり,定義文を解釈するうえで困難が生じる可能性はもちろんある。上でも述べたとおり,それが英英辞典を使うことをあきらめる「挫折」の原因の1つであることは間違いないだろう。
 それでは,この困難を克服するにはどうすればよいか。まず1つ目は,「英英和辞典」を使うことだ。『ワードパワー英英和辞典』(島岡丘編,増進会出版社)では,定義文と例文に日本語訳が添えられており,訳語も加えられている。「英英和辞典」と名のつくものには『ケンブリッジ英英和辞典』(投野由紀夫監修,小学館)もあるが,こちらのコンセプトは「英英部分にほどよく添えられた、日本語訳をヒントに英語の定義や用例をじっくり読む」(『小学館ランゲージワールド』の紹介ページより)というもので,日本語の挿入は最小限にとどまっている。初心者には『ワードパワー英英和辞典』のほうがとっつきやすいだろう。
 挫折を回避するもう1つの方法は,電子辞書を活用することである。具体的には,電子辞書の「ジャンプ」機能を活用して,定義文や例文に出てくる未知の語句を調べたり,引いている語句の訳語を見たりするのである。電子辞書の英英辞典をまず引いて,語句の説明画面を出してから「ジャンプ」などのキーを押し,矢印キーで希望の語句を反転表示させてから「決定」などのキーを押すと,その語が載っている他の辞典の候補が表示されるので,そのなかから英和辞典を選択すると,その後の英和辞典の画面が出る。英英和辞典を使うのに比べれば手間や時間はかかるが,辞典の選択の幅は広がり,より本格的な英英辞典が使える。
08:39:23 - yhatanaka - No comments - TrackBacks

29 November

aとtheの違い—対比の例から検討する

 英語のなかで,日本人にとっていちばん習得しにくい項目の1つは冠詞ではないだろうか。ぼくもいまだに英語を書いていて迷う場合がけっこうある。
 aとtheの使い分けの基本は比較的単純だ。以下を基本に考えればよい。

 もちろん,この基本を知っている人は多いだろう。それだけではうまくいかないから苦労するわけだ。
 ここで1つ例文を見てみよう。

The subjectivities of each individual become a, if not the, unique source of significance, meaning and authority. (Paul Heelas and Linda Woodhead (2005) The Spiritual Revolution: Why Religion is Giving Way to Spirituality. Blackwell. pp. 3~4)

aとtheがif notで対比されているので,それぞれが具体的にどんな意図で使われているかがよくわかる。aの場合には複数あるunique sourcesのうちの1つ,という意味であるのに対して(uniqueとの意味のかねあいが問題だと思う人もいるかもしれないが,たとえばunique problems / featuresなどの例も見られる),theの場合には「それしかない」という意味になる。より具体的に言えば「唯一の」ということだ。
 この唯一の意味のtheは会話では強調して発音されることも多い。This is the place to visit in this city.といったように,である。
14:59:00 - yhatanaka - No comments - TrackBacks

28 November

勉強するのは何のため?

 勉強するのは何のためか,目標を明確に見定めなければ,せっかくの勉強も単なる徒労に終わってしまう。
 ここで間違えてはいけないのは,資格を取るとか,志望校に合格するとか,そういう短期的な目標のことを言っているのではない,ということだ。資格を取って何がしたいのか,志望校に合格してどんな自分になりたいのか,そこを明確にしないとおかしなことになる。
 たとえば英語を学ぶ場合を考えてみよう。志望校に合格するために英語が必要だから勉強する。もちろんそれもあるだろう。しかし,そもそも何のために試験科目に英語が含まれているのかもきちんと考えなければならない。単なる「試験対策」「攻略法」で「受験英語」を一生懸命勉強してみたところで,合格してもその先ろくに使い物にならないがらくた知識が身につくだけだ。合格の先の「学問」「研究」に英語が必要だという意識を明確に持てば,学習姿勢も変わってくるはずだ。
 「使える英語」を求めている人も多いだろう。この場合も,ただ漠然と「使える」ということだけを考えていてもダメだろう。英語をどんな目的で使いたいのかが明確にならなければ,何をどれだけ学習してよいのか,とりあえずの到達目標をどこに置くのかもわからないだろう。外国語能力を一種の「保険」のように考えている人もいるが,こうしたモティベーションで学び続けていてむなしくないのだろうか,と,いらぬ心配をしてしまう。
 きちんとした英語力をつけたいと思ったら,自分で疑問を解決できる能力をつけなければならない。そのためには,辞書と文法書を正しく活用できる必要がある。となると,辞書や文法書を使わなくても勉強できる,というふれこみの学習法が,はたして本当に効果的なものであるかどうかも疑ってみる必要があるのだ。一見親切に見えるこうした学習法だが,最終目標を正しく見据えられている人には,その問題点がすぐにわかるはずだ。辞書や文法書の正しい使い方と本当の価値が,実践を通してわかる学習法こそ,正しい勉強法であるはずだ。
 目標をきちんと見据えることは,研究計画書を書くうえでも大切だ。ただ目の前にある大学院入試を突破したいというだけでは,説得力のある内容の計画書は書けない。自分の将来の目標から「逆算」して,大学院で何をすべきか,どんなことを身につけるべきかが十分にわかっている必要がある。学位や資格が取れればそれでよい,と考えている人もいるだろう。しかし,よく考えてみてほしい。今の大学は「学士量産マシーン」と化している部分も多いが,そこで何が得られただろうか。大学できちんと勉強していたなら,相当の力はついているはずだが,実際はどうか?大学入試の時には受かるため,大学に入ってからは単位を取って進級するため,学年が上がってからは卒業するため,就職するため,と,ひたすら目の前の目標をクリアすることを考えて進んできて,本当に「なりたい自分」になれただろうか。ここできちんと考えほしいのは,大学院でも同じ轍を踏もうとしてはいないか,ということだ。
 同じ轍を踏まないために何が必要か。上でも書いた「逆算」の発想である。大学院進学を考えているなら,大学院の先まで見通し,そこから考えて大学院で何をすべき/したいか,そのためにどんな準備をすべきかと考えながら,研究計画書に取り組んでほしい。
 学びは一生続く。そのために本当に必要なのは,自分で必要なことを学び続ける能力である。learing to learnが必要なのだ。大学では残念ながらその機会を逸したかもしれない。そういう人はぜひ大学院でこの能力を身につけてほしい。
19:59:11 - yhatanaka - No comments - TrackBacks

26 November

英文読解の論理—「展開」の読み方

※図解のサイズが大きく,標準状態ではうまく表示されないので,一度PCに保存してからじっくり見ていただきたい。

 英文を読むのはなぜか。言うまでもなく,最終目標はそこに書かれている情報を取り出すことである。語句と文法・構文を「知って」いれば英文が読めると楽観的に考えている人も多いようだが,そうでないことはすでにこのブログや『院試塾の現場から』に書いてきたとおりだ。
 英文をきちんと読解するためには,内容の論理展開を正確に把握する必要がある。そのための作業を実際の英文を題材にたどってみることにしよう。

Having considered the unfolding of Christianity in its several varieties, we are now in a position to consider its interactions with modernity. For Christianity there have really been two modernities. In cultural terms, the first was inaugurated by the Enlightenment of the 18th century, which gave [1]new authority to human reason and the freedom to exercise it. Socioeconomically it was characterised by [2]the rise of urban-industrial society and politically by [3]the rise of nation states governed by increasingly powerful centralized governments. The second (or ‘late’) modernity began much later, in the 1960s, and one of its defining cultural characteristics is [4]a turn to subjective-life, which involves a flight from deference—to any established external authority, religious or secular—and [4']an embrace of the authority of one's own deepest feelings, intuitions, desires, and experiences. [4'']The turn to subjective-life is reinforced by other developments, including [5]the triumph of democracy in the political sphere and [6]capitalism in the economic sphere (accompanied by growing affluence). Together these changes conspire to [7]give the unique individual self and its choices new weight and significance.
What this chapter will show is that whereas Christianity was eventually relatively successful in adapting to the first modernity, it was found the second far less congenial. It will also reveal, however, that some varieties of Christianity have coped with [4''']the subjective turn somewhat better than others.
Linda Woodhead (2004) Christianity: A Very Short Introduction. Oxford University Press. p.89)

 太字にしてある部分が流れを示す語句,下線部が主要な概念である。これらを整理すると,以下のように図解することができる。

まず筆者は,modernityを2つに分けており,それぞれをthe first / the secondとしている。さらに,これらにはそれぞれ3つの側面があるとしていて,これがcultural / (socio-)economic / politicalである。それらと下線部[1]~[6]の内容を結びつけているのだが,この部分をさらに整理すると以下の表のようになる。

 言い換え関係にも注意が必要だ。[4]a turn to subjective-lifeが[4']an embrace of the authority of one's own deepest feelings, intuitions, desires, and experiencesと言い換えられている点にまずは注目したい。[4']が内容の説明になっているからだ。[4'']は[4}のくり返しにすぎない。問題は[4''']the subjective turnだろう。これは単に[4](=[4''])の言い換えではなく,[7]を言い換えたものと考えた法がよいだろう。
 この言い換え関係にそって,subjectiveの具体的な意味も検討することが可能だ。まず,[4]と[4']の言い換えから,subjectiveは「自分自身の感情,直観,欲望,経験を大切にする」という意味だと判断できる。また,[7]と[4''']の言い換えからも,「個人の自我とその選択を重要なものだと考える」という意味が浮かび上がってくる。つまり,第2のmodernityとは「自分自身を大切だと考えるようになること」だ,ととらえることができるわけだ。
 表面的な語句や構文だけを見ていても,筆者の「言いたいこと」には到達できない。自分でしっかりと考えながら読み進めることが大切なのだ。
09:56:34 - yhatanaka - No comments - TrackBacks

21 November

「常識」を疑う

 「常識」を英語で何と言うか,と問われたら,common senseだ,と答える人が多いだろう。しかし,実際のところはそう単純ではない。
 例として,以下の大学入試英作文問題を検討してみよう。

 地球上にはこれまで人類が記載した限りでも百五十万種の生物がいる。これらの生物の多くは,人間とは違ったやり方でその生を営んでいる。当然のことながら,われわれが当たり前だと思っている常識は,しばしば通用しない

 下線部をどのように訳すだろうか。「常識」を和英辞典で引いたり,common senseを英和辞典や英英辞典で引いたりすれば,「常識=common sense」というのは単純すぎることがすぐにわかるはずだ。『プログレッシブ和英中辞典』を引くと,「常識」は以下の3つに分けてある。

  1. [思慮分別]common sense

  2. [周知のこと]common knowledge

  3. [妥当なこと]


「われわれが当たり前だと思っている常識」は文脈から考えても「思慮分別」のことではないと思われ,ここですでに「常識=common sense」ではすませられないのではないかと判断できる。なお,この辞書の例文として,「そんなことは常識だよ」をEverybody knows that!としてあるのも興味深い。
 続いて,common senseを英和辞典を引いてみよう。『プログレッシブ英和中辞典』を見ると,「常識的判断,良識,分別;共通感覚」という訳語が挙がっており,注意事項として,「だれでも持っている知識という意味での『常識』はcommon knowledge」とある。少し注意して辞書を引いていれば,「常識=common sense」という誤った考え方はせずにすむのだ。
 さらに英英辞典を引いてみる。LDOCEを見ると,common senseとはthe ability to behave in a sensible way and make practical decisionsだとしてあり,やはり「思慮分別」の意味しかないことがわかる。
 以上の検討作業から,少なくとも上の問題の「常識」をcommon senseと訳すことはできないと判断できる。それでは,下線部はどのように訳せばよいのだろうか。「常識」の意味を今度は国語辞典で確認することにしよう。たとえば『明鏡国語辞典』には「一般の社会人として,だれもが共通してもっている知識や分別」とある。「一般の社会人として」はここでは該当しないと考え,また「分別」もここでは関係ないとすると,「誰もが共通してもっている知識」のことを,上の問題文の筆者は「常識」と言っているのではないか,と判断することができる。
 ここで下線部全体をみると,「われわれが当たり前だと思っている」=「常識」ではないか,と思える。だとすれば,「われわれが当たり前だと思っていること」とすれば事足りるのではないだろうか。これなら簡単だ。関係代名詞のwhatを使えばよい。「当たり前だと思っている」はtake ~ for grantedが使える(興味があればぜひ確認してみてほしい。たとえばMacmillan English Dictionaryには,to expect something always to happen or exist in a particular way, and not think about any possible problems or difficulties)から,what we take for grantedと処理することができ,下線部全体ではwhat we take for granted often does not apply to themとすればよいだろう。
 今回の英作文問題も,1対1対応では処理できない。それでは1対多にして,「常識」にcommon senseとcommon knowledgeを対応させればよいのか。そうではない。大切なのは,自分の頭でしっかりと考え,辞書を最大限に活用し,常に最適のものを選び取る「姿勢」「習慣」を身につけることだ。「最小の努力で最大の結果」を得たいというケチな考えでは,外国語は身につかない。上の問題の出題者も,そういうメッセージを発しているとぼくは思う。
20:36:14 - yhatanaka - No comments - TrackBacks