院試塾ブログ
インターネット大学院予備校代表・畑中泰道のブログ

16 December

クリスマス・ソングで少し英語の勉強—a shoulder to cry on

 いよいよ今年もあと2週間,クリスマスまでも1週間となり,街にはクリスマス・ソングがあふれている。ぼくらの世代の定番と言えば,J-POPでは山下達郎の『クリスマス・イブ』,洋楽ではWham!のLast Christmasだろう。前者はJR東海の東海道新幹線のテレビCMで使われていた(今考えればずいぶんバブリーな内容だったとも思う)。どちらも失恋の歌なのだが,その点はあまり意識されていないのではなかろうか。
 さて本題。Wham!の歌にI guess I was a shoulder to cry onという一節がある。ボールド部分はto不定詞の形容詞用法で,先行するa shoulderを修飾しているのだが,to cryではなくto cry onとなっている点に注目してほしい。本来onの後に続くはずのa shoulderをこの不定詞句が修飾しているのだ。学校で英語を習ったときに「筆記用具」はsomething to writeではなくsomething to write withとしなければならない,と教わった記憶のある人もいるだろうが,このwithの後にも本来あるはずの名詞がなく,それが修飾を受けるsomethingと対応している。
 理論的な英文法では,これを「空所」という考え方で説明する(もっとも,詳細は高度に理論的で,ぼくも最新の理論をフォローしているわけではないが,基本的な考えかたは変わっていないはず)。「筆記用具」で説明すると,something [to write]は実はsomething [to write ( )]で,この( )があることによってsomethingを修飾する力を持つようになっていると考えればよい。ところが,この空所に入るべきものはwriteの目的語となるもの,たとえばa letterとかa bookとかでなければならず,これでは「筆記用具」という意味にはならない。withを加えるとsomething [to write with ( )]となって,手段・方法を表すwithに続く要素,つまりa penとかa pencilとかを想起させることになり,全体として「筆記用具」に相当する意味になるわけだ。
 大切なことは,something to write withは「筆記用具」という意味の「熟語」などでは決してなく,英語の文法に従って創造的に生み出される表現である点だ。これを熟語として覚えてしまっていては,a shoulder to cry onという表現は出てこない。
16:33:08 - yhatanaka - No comments - TrackBacks

15 December

過程と状態—動詞の理解と典型性

 品詞と意味との結びつきは多様で,これが外国語学習では特に問題となる場合がある。たとえば,動詞は主に動作を表すものだが,状態を表す場合もあることはすでに周知の通りである。しかし,実際に英文を解釈していくときや語句を覚えるときに,「動作は動詞を表す」という理解が妨げとなる場合がある。
 まずは例文を見てほしい。The sea lagoon turned out to vary in depth from a few inches to a couple of feet.(BNC)のvaryを「変化する」と解釈してしまうたぐいの誤りが多く見られるが,これはおそらく,正解の「さまざまである」ないしは「〜の範囲に及ぶ」という状態の意味よりも,「変化する」という動作ないしは過程の意味のほうが,動詞の意味よりも典型的だと思えるからだろう。
 なお,辞書の語法記述や用例をしっかり検討することで,この手の間違いは防ぐことができる。たとえば『ジーニアス英和辞典』(第3版)には,「さまざまである」という意味のvaryには前置詞inやfrom A to Bが続くことが示されており,The houses vary in size from small to large.という用例が挙がっている。上で見た例にも同じようにinとfrom A to Bが含まれており,こうした点を十分に確認すれば,varyが「さまざまである」という意味であると判断できるのである。
 副詞も解釈する際に典型性の影響を受けやすい品詞であろう。様態の副詞がおそらく代表的であるが,頻度や程度はもちろん,範囲限定などさまざまな意味で用いられる。研究に必要な英語力でとりあげたemotionallyを「感情的に」と解釈してしまうのもこうした誤りの1つである。
22:05:18 - yhatanaka - No comments - TrackBacks

11 December

英文理解は単なる足し算ではない

 文法規則に従って,辞書に載っている訳語を組み合わせていけば英文が「わかる」というのは,たしかに初級段階ではそうかもしれないが,しっかりした「読み」への筋道とはならない。そういう「機械的な」読みかたから脱却しないかぎり,本当に英文が理解できるようにはならない。以下の例を考えてみてほしい。

Music is listened to at the same rate it is performed, because the very nature of sound is such that if slowed down or speeded up, its experiential quality differ. But that does not stop us from a slow perusal of the score, or from mentally replaying the sounds at whatever rate we choose. (Donald A. Norman (1992) Turn Signals Are the Facial Expressions of Automobiles. Perseus. p.94)

 its experiential qualityとは「どういうこと」か。訳せというのではない。つまりどういうことか,と問うている(本当は,訳すというのもこうした理解にもとづいたものであるべきで,下手な英文和訳の解答例のような翻訳は翻訳ではない)。「その経験的性質」として満足しているというのは,本物の理解にたどりつく努力を放棄しているに等しいのではなかろうか。「どのように聞こえるか」ととらえるのが正しい。「聞こえかた」としてもよいだろう。
 上記の理解にたどりつくためには,どのようにすればよいのだろうか。実はそう難しいことではない。experientialのもととなっている名詞experienceがこの文脈で何を意味しているかをまず考えてみよう。音楽を聴く話をしているのだから,experienceも当然ながらこの文脈に即して考えるべきである。experientialを辞書で引いて,「経験的な」という訳語があったからそれをそのまま当てはめる,というのは知的怠惰以外の何ものでもない。そもそも,二カ国語辞典の訳語というのは,そのまま文脈に当てはめることを意図したものではない。辞書を使うものが語義を見きわめる「手がかり」として与えられているものである。
 qualityも「性質」という訳語で満足してはいけない。文脈から意味を見きわめなければならない。音楽をもとと違う速さで再生したらどうなるかを考えるのだ。この際,英語の名詞に間接疑問の意味が込められる場合があることを知っていれば,「どんなものか」といった柔軟な理解ができるようになる。
 mentally replaying the soundsはどうだろうか。ここではmentallyの解釈が問題となる。mentallyのもとになっている名詞はmindで,これを副詞にしているのだからreplaying the sounds ( ) the mindの空所に何が入るかを考えてみればよい。副詞はとにかく「〜的に」とするという発想では,本物の理解にはたどりつけない。
 要するに,自分の理解に対する要求水準を上げることが必要なのだ。自分の理解について言い訳ばかりしているようでは,いつまでたっても英語がきちんとわかるようにはならない。
00:08:32 - yhatanaka - No comments - TrackBacks

10 December

The Society of Mindと『心の社会』

 Marvin MinskyのThe Society of Mindという本がある。認知科学の世界ではよく知られている本だ。邦訳のタイトルは『心の社会』となっているが,私にはこれが誤訳であるように感じられる。少なくとも『心という社会』とするべきではなかったか。
 語学的に言うと,タイトルのofは同格で解釈すべきではないか。以下の図解を見てほしい。
null
この本の内容は,mindが細かい仕事をするagentsからなっており,そのagentsの分業によって,複雑なmindの働きが説明できる,というものだ。これを構成要素に注目すればthe society of agentsと表現できる。このofは構成要素を表すもので,たとえばa herd of cattle「牛の群れ」(『プログレッシブ英和中辞典』)のofと同じである(cattleが集合名詞なので複数形にはなっていない点にも注意)。一方,このsocietyがすなわちmindなのだ,と言いたい場合には,同格のofを用いてthe society of mindと表現する。the virtue of charity「慈善という美徳」(同上)のofと同じ用法である。なお,同格のofでも「の」と訳してよい場合もあるが,ここでは同格の意味をより明確に表すべきだと考える。
 本文の記述も見てみよう。

 This book tries to explain how minds work. How can intelligence emerge from nonintelligence? To answer that, we'll show you that you can build a mind from many little parts, each mindless by itself.
 I'll call "Society of Mind" this scheme in which each mind is made of many smaller processes. These we'll call agents. Each mental agent by itself can only do some simple thing that needs no mind or thought at all. Yet when we join these agents in societies—in certain very special ways—this leads to true intelligence.
 There's nothing very technical in this book. It, too, is a society—of many small ideas. Each by itself is only common sense, yet when we join enough of them we can explain the strangest mysteries of mind. (p.17,ボールドは引用者)

 ボールドにした部分から,Minsky自身がthe society of mind / the society of agentsに相当する2種類のofを使っていることがわかる。続くp.18にはonce we see the mind as a society of agentsとあり,上の図解がMinskyの意図を表していることの証左となっていると思う。
 なお,societyという語の背景には「分業」と「協働」があるようだ。p.20にWhat kinds of smaller entities [=agents] cooperate inside your mind to do your work?(ボールドは引用者)とあることからわかる。
 mindを「心」と訳すのも本当は問題があると考えているが,この訳はすっかり定着してしまった間があり,もはや抗うことは難しいかもしれない。しかし,この訳によって心理学に対してはずいぶん誤った見かたがされているのではないだろうか。
12:52:10 - yhatanaka - No comments - TrackBacks

03 December

学ぶことの醍醐味—つながってきた!

 いろいろなことを勉強していて,それが1つにつながってくる。この感覚こそ,学ぶことの醍醐味ではないかと思う。このところ,そんな感じを少しずつ味わっている。
 学生時代,ぼくは言語学を学んでいた。今でも,英語を教えることが仕事の大きな部分を占めているから,言語学の知見はいろいろと役に立つ。というわけで,今でも言語学に関する文献を読んで勉強している。
 一方で,共同研究で論文を書くために医療社会学を勉強している。この勉強を始めた時期は,ちょうど医療短大で非常勤講師をしていたころでもあった。
 一見,この2つはあまり関係がないように見える。しかし,実はembodimentという概念でつながっている。embodimentとは,人間が身体を持った存在であるという考え方だが,これが2つの学問分野でキー概念となっているのだ。簡単に言うなら,デカルト以来の心身二元論に対するアンチテーゼとなる考え方で,これが現代言語学の大きな流れである認知言語学でも,医療社会学と大きく重なる身体社会学でも,根底にある考え方となっているのだ。
 ぼくの場合,フランス語を学んでいることがさらに関連を持ってきた。フランスの人類学者であるDavid le Bretonの著作に直接触れることができるからだ。Anthropologie du corps et modernite(『身体の人類学と近代』),Anthropologie de la douleur(『痛みの人類学』)といった著作を読めるのは,今後の研究にもよい影響をもたらすだろうと期待している。
 学んでいてよかった。学び続けていてよかった。
20:47:07 - yhatanaka - No comments - TrackBacks