院試塾ブログ
インターネット大学院予備校代表・畑中泰道のブログ

20 July

大学の授業

 2006年度まで10年ほど,ぼくは大学の非常勤講師をしていた。学生時代の専門は英語学で,3年ほど短大で英語を教えていたこともあるが,この非常勤の職は情報教育担当だった。
 この期間に大学の情報教育は大きく変わった。コンピュータをさわったことがない,という新入生は多数派から少数派となり,パソコンを使って作成したレポートをメールで提出することもごく一般的なこととなった。ぼくが教え始めたときは学生にフロッピーディスクを購入させていたが,途中からこれがUSBメモリとなった。
 この10年はちょうど国立大学が法人化した時期で,大学教育も消費主義の方向に大きく転換したとぼくは考えている。ぼくがこの職を退くこととなったのは,非常勤講師の予算が大きく減少したからだと聞いている。
 もっとも,これだけ消費主義が蔓延すると,ぼくのやりかたではいずれにしてもやっていけなくなっていたかもしれない,と思う。
 出席はとらない,というのがぼくのポリシーの1つだった。一般教育の必修ではありえない,と考える人もいるかもしれない。しかし,出席をとって何の意味があるのか。出席を強制してみたところで,身体が出席していても頭と心はそこにない,という学生をただ拘束するだけのことである。そういう学生は「内職」をしたり私語をしたりして,それを管理するためにこちらが余計な労力を使うはめになってしまう。そこで行われていることに,学生自身が本当の意味を見出していなければ,出席を強制することに意味はない,というのがぼくの主張だった。これは学生にも最初にきちんと宣言し,そのうえで,授業に来る以上は真剣に取り組むように,と指導していた。出席していなくても,途中で課される課題と学期末のレポートを(内容も含めて)きちんと提出すれば,単位は認定していた。上野千鶴子が『サヨナラ,学校化社会』でも書いているが,「出席しないで単位とるのも芸のうち」だというのがぼくの考えだ。
 一方で,世間一般で売られているパソコン解説書では扱っていない内容をできるかぎり扱うようにした。そもそもこうした解説書の内容をなぞるだけでは,大学の授業としての意味はない。ワード・プロセシングではレポートの書きかたを,構想段階からコンピュータを使って書き進めていく方法を中心に解説した。表計算では簡単な統計処理ができることを主な目標としていた。大学での学習・研究にコンピュータを積極的に活用する,というのが授業目標の1つだったからだ。
 しかし,学生というのはおかしなもので,解説書と同じような内容の授業をむしろありがたがる者もいたようである。だったら何も授業でやる必要はないのだが。
 さらに,情報処理は何もコンピュータを使わなくてもできる,と常々言っていた。学生ばかりではなく大学側も,「情報教育=コンピュータ教育」と考えている節があったが,もちろんこれは間違っている。もちろん,コンピュータは情報処理のツールとしてきわめて便利なもので,これを最大限に利用しない手はない。しかし,情報教育=コンピュータ教育だと考えると,コンピュータを操作していれば「情報」を扱っている,という,きわめて誤った考え方に陥りかねない。学問という営みは,コンピュータを使っても使わなくても,情報を入手し,整理し,自分なりに加工して,自分の考えを加えて発信する過程である。この過程に学生が習熟し,学問的な活動ができるようにならなければ,大学の授業としての存在意義はない。
 ぼくは今,直接大学生を教える立場にはない。しかし,院試塾での活動を通じて,大学教育がどのような結果をもたらしているかは間接的に知りうる。残念ながら,理想とはほど遠いように思われる。今のぼくにできるのは,大学で学問的な力を十分に身につけられなかった人に,そうした力を身につける機会を改めて提供することだと考えている。
09:54:50 - yhatanaka - No comments - TrackBacks

自分で学ぶということ

 教育の最終目標は,その人にとって教育を受けることを不要にしていくことだと思う。特に「最終学歴」についてそう言えるのではないか。もちろん,学びは一生続いていく。だからこそ,狭い意味での教育,つまり,教育機関で教育を受ける,ということが必要なくなるように,大学や大学院は教育を行っていく必要がある。
 ぼく自身は,幸運にもこうした教育を受けることができたと思う。院試塾やその他の仕事で必要なことはもちろん,それ以外に興味を持ったテーマについても,自分に必要な知識はある程度自分で得られている。
 いちばん大切なのは「問いの立てかた」だろう。ある程度具体的な疑問を持たなければ,探究の過程は始まらない。もちろん,最初は漠然とした問題意識でもよい。それを頭の片隅に置きつつ,関連する本を読んでいく。この過程で疑問点がより明確になり,それによって次に進むべき道が見えてくる。多くの場合,ある程度探究を進めていくと,最終的なものではないにしても先人が出した結論が自分のニーズには合っている,という場合も多い。本格的な研究論文を書くというのでなければ,これで十分である。もし疑問の余地が残れば,さらに探究を進めていけばよい。
 ぼくの場合,もともとの専門が語学だったから,読める文献の範囲はかなり広くなる。翻訳が出ていたとしても,原文を自力で読めることの意味は大きい。これも学生時代に受けた教育のおかげだと思っている。最近ではフランス語のカンもある程度戻ってきて,必要となればフランス語の本でも何とか読もうと思えるほどにはなってきている。
 何も自慢話をしようというのではない。大学や大学院というのは,真剣にその気になればこうした力をつけてくれるところなのだ。ところが残念なことに,目先の「単位」や「卒業(修了)」にとらわれすぎて,本当のことが見えなくなっている人もいる。本当の学びのチャンスがすぐ目の前にあるのに,それに気がつかないのである。
 これは大学院入試についても同じだろう。大学院に入学することを目指して,半年なり1年なりの時間をしっかりと過ごしたならば,仮に大学では十分な学びができなかったとしても,それをある程度取り戻すことはできるはずだ。そのように考えて院試塾では,ある程度長い時間をかけて大学院入試の準備を進める講座(たとえば「社会人のための大学院研究生活入門ゼミ」など)を設置している。
00:42:33 - yhatanaka - No comments - TrackBacks

13 July

メモとローラーボール

 何度かメモのことを話題にしているが,RHODIAなどのメモパッドと同じくらい重要な位置を占めるのが,セットで使うことになるペンだ。RHODIA No.11と長い間いっしょに使っているのがプラチナ万年筆の手帳用BTE-500で,No.11用カバーのペンホルダーにすっきり収まるところがとても気に入っているのだが,書き始めのいわゆる「立ち上がり」が気になる。つまり,インクが出るまでに少々時間がかかるのだ。ものすごく高級なものだとまた違う部分もあるのかもしれないが,一般的な油性ボールペンだとこれは宿命なのかもしれない,と思うこともある。というのも,たまたま買ったLAMYsafariの油性ボールペンでもやはり立ち上がりが鈍く感じられるからだ(もちろん,ひょっとするとリフィルに個体差があるのかもしれないが)。
 それと,これはきわめて個人的な好みなのかもしれないが,油性ボールペンの「引っかかり」も気になる。紙が微妙に抵抗するように感じられるのだ。
 こうした問題点を解決してくれるかもしれない,と考えて,ローラーボール(水性ボールペン)を買ってみようと考えた。問題は,ローラーボールのほとんどがキャップ式になっている点だ。もともとキャップ式は好きではないし,キャップを外してから書く,というのがメモにはあまり適さないと思う。と思って調べていたら,safariと同じLAMYからtipoやswiftなどの「キャップレス」なローラーボールが発売されていることがわかり,早速tipoを購入してみた。
 これがなかなかよい。立ち上がりも快調だし,引っかかりも感じられない。問題点は,線がやや太めでNo.11に細かい字でメモするのには適さない点と,No.11用カバーのペンホルダーには収まらない(そもそも長さの点からも無理)点だ。裏写りも気にはなるが,ぼくの場合RHODIAメモは片面しか使わないので,あまり問題にならない。
 これまでペンはあまり気にしたことがなかったのだが,これからしばらくは注目していくことになりそうだ。
23:03:25 - yhatanaka - No comments - TrackBacks

10 July

RHODIA No.12その後

 6月22日のエントリ「RHODIAメモ―No.11か12か?」でNo.12への移行を考えていると書いたが,その後やはりNo.11をメインに行くことにした。理由は簡単で,カバーつきNo.12をズボンの後ポケットに入れると意外にかさばることがわかったからだ。取り出そうとするときにも引っかかる感じがする。No.11では感じられなかった「違和感」を感じるのはやはり問題で,結局No.11に戻ることになった。
 紙のサイズはNo.12もけっこうよい感じで,特に辞書の用例を書き写してちょっとした考えなどを書き込むのには最適である。これからはカバンに入れて,語法研究用のメモとして使うことになりそうだ。
23:09:58 - yhatanaka - No comments - TrackBacks

CASIO DATAPLUS 4

 CASIOの新しい電子辞書を購入した。『小学館ロベール仏和大辞典』収録のXD-GP7250だ。CASIOのDATAPLUS 4シリーズ。仏和大辞典の他にプチ・ロワイヤルの仏和・和仏などが入っている。これまではプチ・ロワイヤルとクラウンの仏和を使っていたが,やはり本格的に本を読むには大仏和が必要,ということで,一時は紙のほうを買うことも考えたが,使用頻度を考えるとやはり電子辞書になってしまう。
 CASIOの電子辞書はDATAPLUSとDATAPLUS 2を買ったが,DATAPLUS 3は買わなかったので1世代飛んでいる。今回DATAPLUS 4を買って実際に使ってみて,いちばん不満なのは「用例・解説」と「成句・複合語」ボタンがなくなって,手書きパネルのソフトキーからしかアクセスできなくなったこと。これでは,学習者がますます用例を見なくなってしまうのではないかと,少なからず心配してしまう。高校生用なども同じ仕様のようだが,これは何とかしてほしいところだ。
 あと,電子辞書全般について言えることだが,最近のものはどんどん分厚くなってきている。スピーカがつき,画面がタッチパネルになり,バックライトが入るとどうしても厚くなってしまうのかもしれないが,一時特にCASIOのものはかなり薄かったことを考えると,あまり歓迎できる傾向ではないと思う。
23:02:59 - yhatanaka - No comments - TrackBacks