院試塾ブログ
インターネット大学院予備校代表・畑中泰道のブログ

29 November

tantalizingly close

 タイトルの表現はどのように訳せばよいだろうか。辞書的な訳をつなげると「じれったいほど近く」となるが,はたしてこれでわかったと言ってよいだろうか。ぼくに言わせれば,もし本当にわかっているならこんな訳は書かないはずなのだ。たとえば,以下の引用を見てほしい。

In the same way, this letter to Wallace shows that Darwin got tantalizingly close to grasping the point about the non-blending nature of heredity. But he didn't see its generality, and in particular he failed to see it as the answer to the riddle of why variation didn't automatically disappear from populations. (Richard Dawkins (2009) The Greatest Show on Earth: The Evidence for Evolution. p.31)

結論から言うと,tantalizingly closeとは,「あともう少しというところまで」という意味で,「だけれども結局うまくいかなかった」という意味あいを伴う場合が多い。
 英和辞典の記述を紹介しよう。まず,tantalizinglyに独立して訳語を挙げているのは,ぼくが見たなかでは『ジーニアス英和大辞典』だけで,「気をもませるように」となっている。しかし,残念ながら,「気をもませるように近い」でははっきり言って意味不明だろう(もっとも,辞書の訳語というのはそのまま当てはめられるとはかぎらない)。
 このような場合,-lyをはずしてtantalizeを引くのがよい。たとえば『ランダムハウス英和大辞典』では,「人の期待[興味,欲望]をかき立てる,(手の届かないものを)見せつけてじらす,じれったい」といった訳語が挙がっている。「手が届きそうだが届かない」というイメージは,closeとの関係で考えると,こうした訳語から出てきそうにも思える。また,『リーダーズ英和辞典』には「期待させておいて手が届かない」というのがあり,やはりcloseとの関連でかなり正しいイメージを持つことができるように思われる。
 英英辞典はどうか。Macmillan English Dictionaryにはtantalizingly closeを含むWe were tantalizingly close to winning.という文が用例として挙がっており,語義はmaking you feel excited or hopeful about having something you want, often something that you never getとなっている。上のDawkinsの引用のBut以下からは,ダーウィンが結局は遺伝がデジタル的であることを十分理解してはいなかったことが読みとれるが,これとMacmillanの語義のoften以下の説明が一致している。また,COBUILDのtantalizeの語義はIf someone or something tantalizes you, they make you feel hopeful and excited about getting what you want, usually before disappointing you by not letting you have what they appeared to offer.となっている。usually以下がMacmillanのもののoften以下と同様の意味を表している。
 実はこのusuallyやoftenの存在は重要だ。というのも,こうした含意は必ず含まれるものではなく,文脈によっては「手に入らない」という意味あいが出ないこともあるからだ。たとえばMacmillanは形容詞tantalizeの用例としてa tantalizing display of chocolatesを挙げているが,これにはおそらく「手に入りそうにない」という意味あいはなく,tantalizingは「いかにもおいしそうな」くらいに考えるのがよいだろう。
 Atkinson&Hilgard's Introduction to Psychologyにも以下のような文がある(実はこれが院試塾の「心理英語実践講座[応用レベル]」の課題になっていて,多くの人が苦心するのを目にしたのが,この記事の内容を考える最初のきっかけとなった)。

Yet what can be more exciting or challenging than venturing into territory that is still uncharted? As important discoveries are being made―in neurophysiology, evolutionary biology, genetics, and various fields of psychology―many observers believe that an explanation of consciousness is tantalizingly close (Crick, 1994). (p.196)

As節の内容などから考えて,このtantalizingly closeには「手に入りそうにない」という意味あいはない(「今はまだ手に入っていない」という意味はあるが)と考えるのが妥当だろう。「〜までもうあと一歩と言うところまで来ている」といった訳をつけるのが適切ではないだろうか。
 なお,この(Crick, 1994)のCrickとは,DNAの二重らせん構造の発見者のひとりであるあのFrancis Crickである。かれはThe Astonishing Hypothesisという著書で意識について論じているのだ。
15:18:20 - yhatanaka - No comments - TrackBacks

24 November

『種の起源』から150年

 今日の朝日新聞朝刊に「進化論150年―ヒトの未来を見つめ直す」という社説が掲載されていた。チャールズ・ダーウィンの『種の起源』の出版から今日でちょうど150年になるとのこと。ダーウィンの生誕からも今年で200年だ。
 この本から始まった進化論という大きな流れは,生物学はもちろんのこと,人文・社会科学にも大きな影響をおよぼしている。時に「適者生存」が過激なイデオロギーとなることもあるが,ゲーム理論などと組み合わさることで,まずまず健全な「人間観」となっていると,ぼく自身は考えている。
 一方,アメリカ合衆国では,進化論を信じないと世論調査などで答える人がかなりの割合になるという。教育において進化論と創造論を平等に扱うよう求める声も強いらしい。
 そんな現状に対して,進化論のスポークスマンとも言えるリチャード・ドーキンスが書いた最新作がThe Greatest Show on Earth: The Evidence for Evolutionだ。読者に「ローマ史とラテン語を教える教師であると想像してほしい」と求めたうえで,「ローマ人など存在しなかった,と言われたらどうするか」と問いかけることから始まるこの本は,「進化は事実である」ことをいろいろな形で示すものだ。昨日この本を書店で求めて読み始めたのは,何だか偶然以上のものを感じる。
 また,昨日は日高敏隆・京都大学名誉教授死去の報にふれた(なくなったのは14日とのこと)。ちょうど最近,『なぜ飼い犬に手をかまれるのか―動物たちの言い分』(PHPサイエンス)を読み終えたところだった。ドーキンスの『利己的な遺伝子』『盲目の時計職人』『延長された表現型』の訳者でもある。
 日高敏隆の教え子のひとりが竹内久美子。この人の書くものにはいろいろな批判もあるが,ぼく自身はなかなかおもしろいと思って大半を読んでいる。
 進化論のキーとなる概念の1つが「自然淘汰」だが,英語ではnatural selectionで,日本語でも「自然選択」とすることもある。「自然淘汰」とnatural selectionでは見かたがやや異なる点が興味深い。前者のほうが排除の意味あいが強く出ているのではないかと感じる。
 「適者生存」はsurvival of the fittestと言うが,これをもじったタイトルの本として,Sharon Moalem and Jonathan PrinceのSurvival of the Sickest: The Surprising Connections Between Disease and Longevityがある。音の類似性ももちろんだが,fitとsickの対比も興味深い。
09:19:44 - yhatanaka - No comments - TrackBacks

22 November

mindと「心」

 英語のmindを「心」と訳すことがあるが,何とも落ち着きが悪いと感じている。その原因は,mindがどちらかというと「思考」や「論理」を前面に出す語であるのに対して,「心」には感情の要素が強く感じられるからではないか。
 辞書を引いてみても,たとえばOALDはABILITY TO THINKとして以下の2つの語義を挙げている。

  1. the part of a person that makes them able to be aware of things, to think and to feel

  2. your ability to think and reason; your intelligence


一方,「心」はどうか。『広辞苑』は「人間の精神作用のもとになるもの。また,その作用」としたうえで,「知識・感情・意志の総体」「思慮。おもわく」「気持。心持」「思いやり。なさけ」といった語義を挙げている。このように比較してみると,やはり日本語の「心」は英語のmindに比べて感情の色彩が濃いように思われる。
 Chomskyがその著作の中でmind/brainという言いかたをすることがある。ソフトウェアとしての精神/心,ハードウェア(wetwareとも言えるが)としての脳,という意味あいだ。
 後の議論にも関連するので,誤解のないように言っておくが(残念ながら,よく読まずに批判をする人がたいへん多いのも事実なので),mindに感情の要素がない,と言っているのではない。上で引用したOALDの語義1.にもto feelが含まれている。ここで言いたいのは,感情の要素が強く表れているかどうかだ。
 ひょっとすると,「心理学」の不幸の源泉はこのあたりにあるのではないかと思う。英語ではよく,psychologyをthe scientific study of the mindである,とする。日本語では「心を研究する学問」とでも言えばよいだろうか。「心理学」は西周がmental philosophyの訳語として考えた語だとされており,「理」という一字を入れた点で西の判断は適切だったと言えるかもしれないが,「心」という言葉があるために心理学についての誤解が絶えないのではないか,と思ってしまう。
 学生時代に,徃住彰文の『心の計算理論』という本を読んだ。タイトルからもわかるように,精神の働きを計算という概念でとらえる本で,言ってみれば「冷徹な」立場の本である。この本のタイトルを見たときにも違和感を覚えた。その原因はやはり「心」という語の持つニュアンスなのだろう。
 感情も心理学の重要な研究対象で,Marvin MinskyもThe Emotion Machineという本を書いたりしている。しかし,感情はあくまで心理学の対象の一部にすぎない。「心」という言葉から一般の人が受ける印象ほど,感情の側面は大きくないのだ。
 ここが翻訳語の難しいところだ。心理学を学問的に語る文脈での「心」は,mindと一対一対応することを意図された語で,『広辞苑』の「知識・感情・意志の総体」に近い。だが,これがはたして,素人が「心の学問」と聞いたときにイメージする「心」と一致するかどうかは,いま一度考えてみる必要があるように思われる。
21:17:46 - yhatanaka - No comments - TrackBacks

ダイニング・メッセージ

 向田邦子の随筆集に『眠る盃』というのがある。表題作の内容は,『荒城の月』の「めぐる盃…」を「眠る盃…」だと思っていた,など,聞き間違い・覚え間違いに関するものだ。
 この関連でふと,ある友人が,サスペンス・ドラマなどで被害者が死に際に残すメッセージのことを「ダイニング・メッセージ」と言っていたのを思いだした。正しくは「ダイイング・メッセージ」だ。「ダイニング・メッセージ」では,「冷蔵庫の中にプリンが入っているからおやつに食べてね ママより」になってしまうではないか!
 「ダイイング・メッセージ」は英語で書くとdying messageである。dieは瞬間で完結する行為を表す動詞だから,本来継続することはない。初学者がよくやる間違いに,「彼は死んでいる」をHe is dying.とするのがある。これはHe is dead.とするのが正しい。He is dying.は「彼は死にそうだ/死にかけている」という意味である。だから,dying messageというのは,死にそうな時に残すメッセージ,ということになる。
 英語で本当に言うのか?という疑問を持って調べたことがある。電子辞書の用例検索ではヒットしない。Webを検索してみると,エラリー・クイーン(Ellery Queen)の作品に出てくるらしい。
20:22:01 - yhatanaka - No comments - TrackBacks

16 November

高校生には高校生用電子辞書を

 高校生を教えていると,電子辞書がほんとうに普及していることが実感できる。早い時期から電子辞書を使うことに対する警戒感もあるが,ぼく自身は電子辞書肯定派で,高校生にもどんどん使ってほしいと考えている。そればかりでなく,電子辞書の使用を前提とした教育が必要ではないか,とさえ思う。
 各社とも高校生用電子辞書にはそれなりに力を入れていて,コンテンツも充実している。しかし,高校生が実際に使っている電子辞書は,一般向けのものがかなり多く見られる。高校生向けのものは高校での学習に特化したコンテンツが多く収録されているだけに,残念にも思う。
 個人的にはCASIOのものがいちばんよいと感じている。最新機種はXD-SF4850(※リンク先はamazon,以下同様)だ。英和辞典は『ジーニアス英和辞典』と『ベーシックジーニアス英和辞典』の両方を収録している。後者には語義の図解があり,基本的なイメージがつかめるようになっている。また,特に1年生の段階ではあまり多くの語義・訳語に惑わされないほうがよいが,学年が上がるにつれて多くの情報が必要になることを考えると,両方を収録してあることにはそれなりに意味がある。SHARPの高校生モデルPW-GC590もこの2つの英和辞典を搭載している。
 和英辞典はどうか。XD-SF4850は『プログレッシブ和英辞典』を収録している。学習用和英辞典として,ぼく自身も信頼しているものだ。PW-GC590のほうは『ジーニアス和英辞典』で,けっして悪い辞書ではないが,訳例が適切かつ豊富な点で,プログレッシブに軍配が上がると考えている。
 英英辞典はCASIOがLongman Dictionary of Contemporary English,SHARPがOxford Advanced Learner's Dictionaryとなっているが,この2つを比べてもLongmanのもののほうが優れていると感じている。また,CASIOは表現用のLongman Language Activatorも入れている。
 他の収録コンテンツにもついてもいろいろ違いはあるが,高校生用電子辞書の最大の特徴は,各教科に対応した学習用コンテンツが豊富に収録されていることだ。特に,山川出版社の用語集は,地歴公民の学習には必要不可欠なものだが,CASIOのものにはすべて収録されている。
 各社ともリスニングコンテンツにも力を入れており,電車やバスで通学しているときに学習できるようになっている。
 高校生には,ぜひ高校生用電子辞書を。
09:34:36 - yhatanaka - No comments - TrackBacks