院試塾ブログ
インターネット大学院予備校代表・畑中泰道のブログ

29 March

語句の意味を文脈から見きわめる―あわせて使われている語句に注目

 語句の意味を理解する際に文脈が重要であることは,すでに何度も説明してきた。今回は特に,あわせて使われている語句との関連から意味を見きわめる手法を説明しよう。

What we have tried to do in the last few paragraphs is to show how political philosophy can illuminate the way we think about politics without making claims to a special kind of truth that is inaccessible to the ordinary person. There is a related issue here, which is how far the kind of truth political philosophy gives us is [A]universal truth―truth [B]that applies to all societies and in all periods of history. Or is the best we can hope for [C]local knowledge, knowledge [D]that is relevant to the [E]particular kind of society we live in today? (David Miller (2003) Political Philosophy: A Very Short Introduction. Oxford University Press. p.15)

まずはAとB,CとDがそれぞれ言い換えになっている点に注目しよう。A / Cがそれぞれ関係節で言い換えられている。Aは「普遍的な」「すべてに及ぶ」という意味で特に問題ないが,CはDとの関連で理解しないとわかりにくい。Dと関連づければ,Cのlocalは「対象範囲が限定されている」という程度の意味だと理解できるだろう。また,Aのuniversalとの対比関係にも注目するとよい。
 また,Eのparticularは「特別な」「特殊な」ですませてしまいがちだが,この文脈でこの意味は不適切である。BとDとの対比関係に注目してみると(AとCの対比関係から当然注目すべきものだ),このparticularはallと反対の意味で用いられていると判断できる。これをふまえて辞書を見れば,「特にこの」(『ジーニアス』)といった訳語が見つかるし,英英辞典のYou use particular to emphasize that you are talking about one thing or one kind of thing rather than other similar ones.(COBUILD)という語義を見れば,「〜だけ」といった柔軟な解釈も可能になる。
15:57:15 - yhatanaka - No comments - TrackBacks

23 March

基本語法知識の応用―think of A as Bから考える

 think of A as B「AをBだと考える」を知っている人は多いだろう(ついでながら,「AをBとみなす」とするのは避けたほうがよい場合が多い)。しかし,この基本語法が他の語と結びつくと,途端に理解度が下がる。まずは以下の例を見てほしい。

 A well-known scientist (some say it was Bertrand Russell) once gave a public lecture on astronomy. He described how the earth orbits around the sun and how the sun, in turn, orbits around the center of a vast collection of stars called our galaxy. At the end of the lecture, a little old lady at the back of the room got up and said: "What you have told us is rubbish. The world is really a flat plate supported on the back of a giant tortoise." The scientist gave a superior smile before replying, "What is the tortoise standing on?" "You're very clever, young man, very clever," said the old lady. "But it's turtles all the way down!"
 Most people would find the picture of our universe as an infinite tower of tortoises rather ridiculous, but why do we know better? (Stephen Hawking (1988) A Brief History of Time. Bantam Books. p.1)

下線部をどのように理解すればよいだろうか。まずは英和辞典で名詞pictureを引いてみよう。『ジーニアス英和辞典』には「心に映る[描く]もの,イメージ;理解,合点」という語義があるが,picture of A as Bという語法表示や用例はない。より大きな辞書を見てもあまり手がかりはない。しかし,of A as Bに注目してthink of A as Bを思い出すことができれば,下線部は「宇宙が無限に重なるカメの塔であると考えること」と理解することができる。これを「無限に重なるカメの塔としての宇宙の図式」などとしたのでは,わかっていることにならない。
 このような理解のしかたが身についていれば,下のような例も問題なく理解できるだろう。

Beginning with Copernicus in the middle sixteenth century, the issue was formally joined. The picture of the Sun rather than the Earth at the center of the Universe was understood to be dangerous. (Carl Sagan (1994) Pale Blue Dot: A Vision of the Human Future in Space. Ballantine Books. p.14)

下線部は「地球ではなく太陽が宇宙の中心だと考えること」とすればよい。of A as Bという形にはなっていないが,これはat the center of the Universeが前置詞句であるため,asによる支えを必要としないからだ。なお,rather than ~はこのような場合「〜ではなく」と否定に解釈するのがよい。辞書の用例にもこのように訳しているものがある。
 最後に,院試塾の「心理英語実践講座」の課題からも例を挙げておこう。

From a very young age, we develop what is known as a theory of mind―an awareness of other people as thinking, feeling individuals―which we use to interact effectively with other people.

これは「他人も考えたり感じたりする個人であるという意識」とすればよい。
 暗記ではなく,このように応用のきく語法知識を身につけたいものである。
15:59:20 - yhatanaka - No comments - TrackBacks

20 March

構造解釈と文脈

 英文読解の初心者から脱却するには,文脈を理解にどう反映させるかを習得しなければならない。しかし一般には,語→句→節→文→段落→文章と,ボトムアップで考えることからなかなか抜け出せない場合が多い。たしかに,このように「積み上げ式」に理解することは一見着実であるようにも見えるが,実際には文脈から細部が理解できる場合も多いのである。文脈から構造のあいまい性が解決できる例を見てみよう。

It is with some trepidation that I introduce a final term into the discussion: that of genius. I reserve this honorific label for those persons who not only are expert and creative but whose works also assume a [1]universal or quasi-universal significance. Within the scientific domains, it is individuals of genius, such as Isaac Newton and Charles Darwin, who discover principles of [2]universal significance. And within the artistic domains, it is individuals of genius who create works [A]that speaks to individuals from diverse cultures and eras. I would speculate that those works endure because [3]they capture some kind of truth about the human condition, often not in words. We are comfortable applying the epithet genius to Shakespeare, Goethe, Rembrandt, and Mozart because [4]their works have transcended their own era. Presumably individuals [B]from other cultures and eras also merit the term genius, but that determination must be left to those with the requisite knowledge and judgment. (Howard Gardner (2006) Multiple Intelligences: New Horizons. p.42 (italics in the original))

下線部[A]のfrom diverse cultures and erasが,一見したところspeakを修飾するのかindividualsを修飾するのかあいまいに感じられるかもしれない。これまでの指導経験から言うと,前置詞は副詞的に解釈する傾向が,特に初級・中級の学習者に顕著に見られる。このあいまい性はどのように解決すればよいだろうか。
 ボールドになっている部分に注目してほしい。[1][2]ともuniversalという語を含んでいる。また,[1]が科学者と芸術家についての総論的記述で,[2]が科学者についてのより踏み込んだ記述となっている。この[2}に対応して,芸術家について説明しているのが下線部[A]である。となると,普遍的な魅力を持つ作品を作り出した芸術家に関する記述であると考えられるから,from ...の前置詞句はindividualsにかかると判断しなければならない。また,[3]には人間の置かれた条件についての真理とあるから,これもやはり普遍的なものであるという意味合いをもつ。さらに[4]で時代を超越すると述べているのも関連づけて解釈すればよい。
 あわせて,下線部[B]も見ておきたい。このfrom ...の句は下線部[A]と共通の語を含んでいる。しかも,これは構造の点から見て直前のindividualsにかかる解釈しかない。
 下線部[A]のfrom ...の句のかかりかたに関するあいまい性は,この部分だけを見ていても解決できない。つまり,ボトムアップではうまくいかないのである。ボトムアップで読むというアプローチは,局所的な見かただけをすればよいという点ではたしかに魅力的である。しかし残念ながら,それだけでは正確な読みは保証されないのだ。このアプローチに安住している学習者は,自分の今のレベルを超えることは難しいだろう。しかし,この安易な方法についすがってしまう人が多いのもまた事実である。
 何のために英語を学んでいるのか,もう一度考えてみてほしい。学問研究の手段として使おうというのであれば,日本語なみに理解できなければダメなのだ。安易な方法に逃げ込んではならない。
20:24:54 - yhatanaka - No comments - TrackBacks

19 March

副詞の解釈―disturbingly resemble

 副詞の解釈は英文読解でも実はやっかいなポイントであり,ここでも何度かとりあげたことがある。院試塾の講座でも,「〜的に」と安易に訳すのは避けるように指導している。
 以下の例を考えてみよう。

The fishermen say the Heike samurai wander the bottoms of the Inland Sea still―in the form of crabs. There are crabs to be found here with curious markings on their backs, patterns and indentations that disturbingly resemble the face of a samurai. When caught, these crabs are not eaten, but are returned to the sea in commemoration of the doleful events at Danno-ura. (Carl Sagan (1980) Cosmos. Ballantine Books. p.15)

disturbinglyは動詞disturbから派生したもので,『ランダムハウス英和大辞典』では副詞として独立した見出しになっておらず,形容詞disturbingに付随する形でしか挙がっていない。それを見ると,「心配にさせる」という訳語が挙がっているので,とりあえずこれを出発点としよう。
 続いて,『英和活用大辞典』でresembleを引いてみる。resembleを修飾する副詞にどのようなものがあるかを確かめるためだ。closely / remotely / strongly / superficially / vaguelyの5つが挙がっており,いずれも基本的には程度の副詞であると考えてよさそうだ。このdisturbinglyも同様であると考えると,「心配になるほど」と解釈するとよいのではないかという結論にとりあえずはいたる。
 引用の文脈を考えると,もう少しよい解釈を思いつくように思う。平家の武士がカニに姿を変えて海底をさまよっている,という伝説とあわせて考えると,たとえば「不気味なほどに」という解釈が適切であると思われる。
 副詞の解釈ひとつでも,場合によってはこれだけ考える必要が出てくる。英文と真剣に向き合うとは,こういうことではないだろうか。
20:26:51 - yhatanaka - No comments - TrackBacks

18 March

knowの用法とiconicity

 まずは以下の引用を見てほしい。

He was intrigued to hear the story of Knut's own childhood in Norway, so similar in many ways to his―and yet different, too. Jacob had grown up surrounded by others with the maskun [=colorblindness, achromatopsia] and by a culture which recognized this; most achromatopes around the world grow up in complete isolation, never knowing (or even knowing of) another of their kind. Yet Knut and his brother and sister, by a rare genetic chance, had each other―they lived on an island, a colorblind island, of three. (Oliver Sacks (1997) The Island of the Colorblind. Vintage Books. pp. 71-2 (emphasis added))

下線部のknow 〜とknow of 〜の対比がすぐにピンと来るだろうか。他動詞know 〜は「〜を直接よく知っている」,自動詞know of 〜は「〜がいることを知っている」と解釈することができる。つまり,上の引用の対比を含む部分は「自分と同じ境遇の人が直接の知り合いにいないのはもちろん,そういう人が存在すると言うことすら知らなかった」と解釈することができる。
 もちろん,辞書の記述を総合すれば,おおむね上記の解釈に到達することはできる。しかし,少々言語学的に考えることで,比較的簡単に理解することが可能となる。その時に必要なのがiconicityという考え方だ。iconicity<iconic<iconと,名詞iconにたどりつけるこの用語は,簡単に言うと「形が似ている」という意味だ。専門用語としては「類像性」と訳す場合が多い。
 上の引用を検討する前に,例で確認してみよう。He shot the bird.とHe shot at the bird.の違いは何か。それぞれを訳すと「彼は鳥を撃った」と「彼は鳥を目がけて撃った」となる。違いは少しわかりにくいかもしれないが,前者では弾が命中したことが含意されるのに対して,後者では命中したかどうかは不明である(「当たらなかった」という意味にはならない点に注意)。shot the birdでは動詞shootと目的語the birdが言語形式上でも直接接触しているのに対して,shoot at the birdでは間に前置詞atが挟まっているために,shootとthe birdの関係は言語形式上でも間接的なものになる。すなわち,現実世界(ないしは話者のとらえた世界。この違いはここではあまり重要ではないので深入りはしない)と言語形式にある種の平行性が認められるのである。
 こう考えると,He shot the bird dead.と言えるのに対して*He shot at the bird dead.と言えないのはなぜかもわかってくる。後者はたまが当たったことを必ずしも含意しないため,「結果として鳥が死んだ」と言えないためだ。このように,iconicityは解釈だけではなく表現面でも威力を発揮する。
 上の引用に戻ると,know 〜ではknowすることが直接対象に及ぶのに対して,know of 〜ではその関係は間接的なものにとどまる。これを現実世界に即して解釈すると,前者は直接相手を知っている,という意味になるのに対して,後者は知りかたが間接的であることを表す,ということになる。
 もうひとつ,同じ本からの引用を見てみよう。

Our helmsman knew all the major stars and constellations, seemed completely at home with the heavens―Knut, indeed, was the only one equally knowledgeable, and the two of them exhanged their knowledge in whispers: Knut with all modern astronomy at his fingertips, the helmsman with an ancient practical knowledge such as had enabled the Micronesians and Polynesians, a thousand years ago, to sail across the immensities of the Pacific by celestial navigation alone, in voyages comparable to interplanetary travel, until, at last, they discovered islands, homes, as rare ad far apart as planets in the cosmos. (ibid. p.54. emphasis added)

下線部のknowはものが対象となっているが,単なる知識ではなく直接体験によって熟知していることを表す。「見てすぐわかるし知識として使える」という意味であることが,ボールドの部分からもわかるだろう。
 なお,この引用の英文としての美しさも十分に味わってほしい。航海をするための星の知識の記述が,島々を星にたとえた記述と組み合わされている。英文を「味読」するとは,こうした美しさを味わうことでもあるのだ。
09:22:02 - yhatanaka - No comments - TrackBacks