院試塾ブログ
インターネット大学院予備校代表・畑中泰道のブログ

21 May

新しい手紙の作法

 ここにも何度か書いたが,このところ,ちょっと手紙に凝っている。といっても,近況報告などで手紙を書く,というほどでもない。いちばん多いのはお礼状だろうか。自分が関わった本を出版社から送ってもらったり,知り合いから著書の献本を賜ったとき,あるいは何かちょっとした贈り物などをいただいたときに,感謝の気持ちがメールより伝わりやすいのではないかと考え,このところお礼状を書くことにしている。
 また,こういうこともあった。初対面の方から名刺をいただいたのだが,こちらは名詞を持ち合わせていない。そんな時に,あらためての自己紹介もかねて,ハガキをお送りした。ちょっと感じたことがあって,住所は知っているがメールアドレスは知らない相手にハガキを送ったこともある。
 さらに,前から書いているが,原稿などを送る際にちょっと一筆添えるようにもなった。これには主に一筆箋を使用している。
 少し調べてみると,手紙の作法というのは案外めんどうである。頭語と結語,時候のあいさつ,1枚ですむ場合でも白紙の便箋をもう1枚つける(これはだいぶ廃れているようだが),といったように,気にしはじめるともう手紙など書きたくない,と思ってしまいそうなほどだ。
 で,ぼくはどうしているかというと,そういうことをあまり気にせず,「書かないよりは書いたほうがよい」という程度に考えている。書き出しは「○○様」とし,いきなり用件から入る。本を送っていただいた場合など,少しでもよいから何か内容に言及する。外山滋比古氏が,とにかくもらったらハガキで「ありがたく頂戴」とでも書き送っておかないと,少し読んでからなどと思っていると書きそびれる,という内容のことをどこかに書いていたが,まさにそのとおりだと思う。締めくくりに結語は入れず,署名をして終わる。
 もちろんきちんとした便箋を使ってもよいが,数行で終わる一筆箋というものがあって,特に原稿に添える場合などには重宝する。また,伊東屋からは「一筆完結箋」というのも出ていて,ハガキサイズ,二つ折りにするとハガキサイズになるもの,A4のものなどが出ていて,お揃いの封筒も手に入る。探してみると,いろいろと発見がある。
 よく考えてみれば,メールなどというものが一般的に使われるようになって,そう時間はたっていないはずなのだが,特に手書きの手紙はめっきり少なくなってしまった。しかし,それだけに,相手の印象には残りやすいとも言えるだろう。別に印象を残そうと思って手紙を書いているわけではないが,こういう習慣が少し広まればよいと思う。
21:57:41 - yhatanaka - No comments - TrackBacks

05 April

「主食」の考えかた―東西の違い

 たまに本式の(と言っても,しれたものだが)西洋料理を食べると,「主食」とはいったい何だろうか,と思う。日本ではコメが主食で,西洋ではコムギやライムギで作ったパンが主食だ,というなら話は単純だが,いろいろ考えはじめると,そう単純にはすまなくなる。
 一時期よく行っていたドイツ料理店(ドイツ人きょうだいが経営)での話。この店の「掟」の1つが,「パンは食べなくてもジャガイモは食べる」というものである。この店の料理にはジャガイモの付いているものといないものがあって,付いているものに加えてパンを頼むのはOKだが,付いていないものにはパンではなくジャガイモを頼むよう,強く勧められるのだ(実際にはほとんど強制!)。追加で頼むこのジャガイモ(揚げ焼き風とでもいえばよいだろうか)は1皿でそれなりのボリュームがある。これに対してパンのほうは,ライムギの薄いもので,日本人の「主食」観からすると,何とも頼りない。ドイツの主食の代表格はジャガイモだとも言えるわけである。
 フランスではコメを付け合わせにする。フランス語を学ぶと,コメ(riz)は野菜(legume※アクサン省略)の1種だと教わる。日本人には奇異にも思えるのだが,たとえば「ビーフストロガノフ・バターライス添え」(正式なフランス料理なのだろうか…)を注文すると,(店による違いもあるかもしれないが)バターライスはまるで付け合わせのマッシュポテトかコーンのようにして添えられている。これを実際に目にすると,コメが野菜に分類されるというのも納得できる。日本ではこれをメインにして,ライスかパンが付いてきたりする。この時のライスは「主食」である。
 中国料理ではコメもコムギ(麺や点心)も食べるが,例えばギョウザをおかずにしてご飯(コメ)を食べる習慣はない,と聞いたことがある。ギョウザの皮はたしかにコムギで作るわけだが,日本人の目から見ると,主食としては何とも心許ない。中華まんじゅうの皮はこれに比べればずいぶんと満足感があるものの,われわれからするとまんじゅうはどちらかと言うとおやつである。
 これらと比べると,日本の食文化はとにもかくにも主食中心主義であり,コメのご飯を食べるためにおかずが存在する。「炭水化物絶対主義」と言ってもよいほどだ。とりあえずご飯に味噌汁と漬け物があれば,「食事」が成立する。「メインディッシュ」がタンパク質である西洋とは好対照をなす。ある行為に使う「ネタ」のことを「オカズ」と言ったりするが,これも「主食」にあたるもののほうが絶対的存在であることを強く示唆する表現だと言えるだろう。
21:37:34 - yhatanaka - No comments - TrackBacks

04 April

何もしないで,何をするか

 いつのころからだろう? こんな光景をよく目にするようになったのは。つきあっていると思しき男女が飲食店に入ってくる。席に着くやいなや,2人とも携帯をとりだしていじりはじめる。おそらくはいちばん大切であるはずの相手が目の前にいるのに,その相手と会話しないのである。
 といっても,ありきたりのケータイ批判をしようというのではない。携帯はもちろんひとつの重要な要因ではあるのだが,もっと大きな「何か」が起こりつつあると感じてしまうのだ。それは,「何もしないこと」に対する耐性の低下である。
 最近の大学生は「お友達ごっこ」が大好きなようで,四六時中友だちといっしょにして,一人の時間を持てない,ないしは,持とうとしない。手帳の予定が空白だと不安になる,という話すら聞く。大人たちも「忙しさ自慢」で競い合ったりする。つまるところ,人生を「効率」で測り,時間を行為や行動で「埋めていく」ことこそが,充実した人生を生きることだと思いこんではいないだろうか。
 学ぶことにおいても,「作業」を量で測り,作業を多く行えばことが進捗しているのだと勘違いする。行為や行動で時間を埋めること,作業を量で測ること。どちらも実に貧しい発想だとぼくは思うのだが,世の中にはびこっている。
 結局,根っこにあるのは「効率至上主義」なのだろう。簡単に言うなら,【効率=成果/時間(または,労力)】である。この見方の最大の問題は,これに縛られると途中経過が楽しめなくなることではないか,と思う。
 途中経過から「ムダ」をなくすいちばん簡単な方法は,何もしていない時間を取り去ることである。そして実際,時間を行為・卯道で埋めるという習慣は,何もしていないことに対するある種の恐怖心と密接な関係があるように思われる。
 しかし,一見何もしていないように見えても,人間の内面では実に多くのことが生じている。「場」と向き合い,「自分」と向き合っているのである。それこそが本当にその「場」を楽しみ,「自分の存在」を楽しむということである。冒頭の例について言うなら,いちばん大切な相手と,同じ時間,同じ経験を共有していることこそが,楽しいことのはずなのだ。
 別の例を考えてみよう。読書の「楽しみ」はどこにあるか。仮に「読まなくても頭に入る」しくみがあったらどうだろうか。効率の観点から見ると,これほどすばらしいことはないとも言える。しかし,そこに読書の「楽しみ」はない。なぜなら,読書の楽しみの大半は「読む過程」にあるからだ。それにそもそも,そんなしくみができてしまったら,情報が頭に入っていること自体の「ありがたみ」もなくなってしまうのである。
 簡単なことだ。その場と向き合い,自分と向き合う。そういう時間をもっと大切にしてみてはどうだろうか。
09:29:40 - yhatanaka - No comments - TrackBacks

01 April

手紙の道具たち

 「手紙という麗しき習慣」で,手紙に少し凝っている,という話をした。今回は,手紙に関する道具を紹介したいと思う。
 もちろん,まずは手紙を書く紙,つまりは便箋が必要だ。一般的な大きさの縦書き,横書きのもののほか,はがきサイズのもの,一筆箋など,さまざまなものがある。正式な手紙では,便箋1枚ですむ内容の場合,白紙を1枚つけるのだそうだが,ぼくはそもそも手紙の古い形式を守って書いているわけではないので,1枚ですむなら1枚だ。もっとも,そうした習慣があることも意識してか,伊東屋からは「一枚完結箋」というものが売り出されている。綴じておらず,バラの状態で売られている。はがきサイズからA4のものまである。
 一筆箋は本当に簡単な内容,たとえば,ごく簡単なお礼状などに使うもので,長形4号の封筒におらずに収まるサイズ。大きな文字なら3〜4行くらい書ける。時候のあいさつなどが省略できるから,書くのが楽だというのもある。そのような略式の手紙でも,ちょっとしたお礼をしたためれば好感を持ってもらえるだろうと思う。
 次は封筒ということになるだろうか。というのは,便箋や一筆箋とお揃いになっている封筒がけっこうあるからだ。別にお揃いでなくてもまったく失礼にはならないだろうが,便箋と封筒がお揃いだと,何となく印象も違うのではないだろうか。一般的な手紙の場合,うえで少しふれた長形4号が多いだろう。他に,はがきサイズのものもある。昔なら写真を入れるのによく使ったことだろう。
 便箋に手紙の文章を書き,封筒に宛名書きをするには,当然ながら筆記用具を使うことになる。毛筆か,そうでなければ筆ペンあたりがよいのだろうが,ぼくにはその心得はない。だからといって油性ボールペンでは事務的で味気ないと感じる。そこでぼくが使っているのが万年筆。特に手紙を書くためだけに使っているわけではなく,構想メモなども万年筆で書いているが,手紙用としてもちょうどよい。和紙の便箋や封筒でも,たいていはペン書きに対応している。また,ある店では水性ボールペンを勧めていたが,たしかに適度なにじみが出てよい。
 万年筆の利点の1つは,さまざまなインクが使えることだ。ぼくが好んで使っているのは,神戸のナガサワ文具センターのオリジナルインク「神戸INK物語」。パイロットからも「色彩雫(いろしずく)というシリーズが出ている。
 基本的にはこれで手紙が書ける。あとは切手を貼って出せばよい。最近は切手の種類も豊富だが,今回はこれにはふれないことにする。
 このほかに,手紙にアクセントを添える道具がいくつかある。比較的単純なのはシールだろうか。主に封をしたところに貼るのだが,便箋などをたくさん扱っている文具店に行くと,シールもいろいろなものが置いてある。あまりかわいすぎるのも困るけれども。便箋などをまとめるクリップにも,最近はかなりいろいろなものがある。ミドリのD-CLIPSがよく知られているのではないか。動物・乗り物や花の形をしたものがある。ちょうどこの時期にぼくが使っているのがさくらの花の形のもの。
 さらに,「文香(ふみこう)」というものまである。封筒に入れるお香のこと。古い時代,手紙にお香を焚きしめていた習慣の名残なのだとか。
 手紙はややこしい決まりごとが多くて敬遠されがちだ。もちろんそういう手紙もあってよいだろうが,もう少しインフォーマルでもよいから,気軽に手紙を書くようにするとよいと思う。そういう流れもあって,最近では便箋や一筆箋に横書きのものも増えている。特に万年筆の場合,縦書きだと書いた文字を手でこすってしまいやすいから,横書きのほうが都合がよい。
16:29:16 - yhatanaka - No comments - TrackBacks

18 February

手紙という麗しき習慣

 最近少しだけ手紙に凝っている。
 と言っても,仕事柄,長文の手紙で具体的な用を足す機会は,まったく言ってよいほどない。手紙について考えてみようと思ったきっかけは,原稿や校正を郵送する際に,ただ内容物を送るだけではなく,何か一言添えたほうがよいのではないか,と思ったことだ。メールで原稿のデータを送るのであれば,本文を空欄にすることはありえない。ぼくの場合,用件1行だけというのも何だか落ちつかないので,「お世話になっております」などで始めて,「以上,よろしくお願い申し上げます」でしめくくる,数行の本文をつける。
 同じことを郵送の場合にはどうすればよいか。最初に使ったのはポストイットだった。これでもただ内容物だけを送るのよりはよいだろうが,あまりに事務的すぎる。次に使ったのが,いろんな場面で使っているRHODIAメモ。No.13〜14あたり。これもあまりに「メモ的」だと感じるようになった。
 ということで,その手の専門店を覗いてみたところ,一筆箋なるものが目に入った。数行書いて終わりの簡単なもので,原稿などを郵送する際にはぴったりだ。縦書きのものが圧倒的に多いが,探してみると,鳩居堂から「鳩たより」の横書き用が出ている。とりあえず今は,因州和紙の「墨流し」を使っている。これは紙に罫が入っておらず,付属の下敷きが透けて見えるようになっている。他に,丸善のミニ便箋を使うこともある。
 一筆箋で当面の課題はクリアできた。他に手紙を書く場面としては,お礼状などがある。今まではメールで済ませたり,パソコンで書いて送ったりしていたが,せっかくなのでこれも手書きで,と考えた。和紙の一般的な縦書きの便箋も使ってはみたが,伊東屋で「一枚完結箋」というのを見つけて,何種類か買ってみた。一般的な便箋サイズのもののほか,はがき大のもの,2つ折りするとはがき大になるものなどがある。お礼状などとしての使い勝手はなかなかだと思う。
 お礼状のような手紙でも,特に形式を気にしてはいない。時候のあいさつをわざわざ調べて書こうというつもりもない。気持ちだけを簡潔に書けばよいと思っている。ただ,その言葉は借りものではなく,自分の言葉を書くように努めている。
 これで何かが変わるのか,正直よくわからない。しかし,ぼく自身としては,その仕事や用件に対して,より丁重になっているという心の表れだと考えている。まずは形から入れば,心のほうもついてくるのではないか,と期待しているわけだ。
 まずはポストイットからでもよいと思う。郵送でなく,書類を誰かに手渡すときにでも,何か一言添える。何とも麗しい習慣ではないか。
22:18:07 - yhatanaka - No comments - TrackBacks