院試塾ブログ
インターネット大学院予備校代表・畑中泰道のブログ

英語を学ぶとはどういうことか?

 英語を学ぶとはいったいどういうことか。基本的な問いであるが,きちんと考えている人は実は少ないように思われる。「直訳的発想」にとらわれている人が多すぎるのではないか。
 「直訳的発想」とは,英語と日本語が単語・文法・構文などのレベルで「1対1対応」している,という考えかただ。この考え方に従えば,1単語につき訳語を1つ覚え,文法・構文の「訳しかた」をマスターすれば,英語は読めるし書ける,ということになる。しかし,少し真剣に学習すればすぐわかることだが,この発想は間違っている。これでは英語は読めるようにも書けるようにもならない。
 次に出てくるのは,「1対1」を「1対多」「多対1」に発展させることだ。上で述べたような極端な1対1対応の考えかたから抜け出せたとしても,この段階で止まってしまう人が多い。要するに「量的拡大」の考えかただ。覚える数を多くすれば英語ができるようになる,という考えである。しかし,これはいわゆる「試験対策」にはある程度なっても,それ以上には発展しない。
 こうした考えかたはなぜ間違っているのか。ごく簡単に言うなら,言語は概念と対応するものであり,概念の「切り取りかた」は言語によって異なるからだ。このように「概念」を中心に置いて,英語学習の基本的な考えかた,つまり「グランド・デザイン」を真剣に検討してみる必要があるのではないか。
 ぼくの現在の考えでは,英語学習のグランド・デザインはおおむね以下のように表現できる。

 まず,英語と日本語は直接1対1ないしは1対多(多対1)に対応してはいない。両者を結びつけているのは,それぞれの言語の表現形式(語句・文法・構文など)が表す概念である。簡単に言うなら,言語表現からその背景にある概念を読み取ることが「読解」であり,概念から出発して具体的な言語表現を求める作業が「表現」である。
 したがって,英語と日本語の間を行き来する場合には,必ず概念をいったん経由しなければならない。英語を日本語に訳す場合には,英語表現から概念を取り出す作業,すなわち「読解」を行ってから,今度はその概念を日本語で「表現」することになる。日本語を英語に訳す場合には逆に,日本語表現の背景にある概念を読み取って,それを英語で表現するのだ。
 事態をより複雑にするもう1つの要素が「状況」である。言語表現と概念も1対1に対応しているわけではない。これは,たとえば語句の場合にいわゆる「多義語」があることからもわかる。言語表現から概念を正確に読み取るためには,その概念と対応する「状況」との整合性を常に考慮しなければならない。「文脈」の多くはこの整合性であると考えてもさしつかえないだろう。
 このように考えれば,たとえば英和辞典の訳語に対する考え方も変わってくるはずだ。すでに述べたように,英語と日本語の語句は多くの場合1対1対応の関係にはなっていない。そもそも英和辞典の「訳語」とは,語義(=英語のある語の意味)を表現するための媒介にすぎない。たとえば,ある語に対応する訳語が3つ挙がっている場合に,それらの訳語と語義の関係は以下のように図解できる。

中心の重なっている部分が「語義」(より正確に言うなら,語義の一部)である。訳語と語義の関係はこのようになっているから,たとえばある語義を表すのに適切な訳語は,文脈によって1~3のいずれかを選ぶ必要がある。場合によっては,辞書に挙がっていない訳語を選択する必要すら生じる。逆に,ある訳語に対応する語義も1つではない。
 ぼくは最近「図解」にこだわっているのも,図解が言語表現とではなく概念との対応関係がより深いので,概念を中心にすえた理解の道具として有効だと考えるからだ。

posted at 15:07:39 on 10/25/05 by yhatanaka - Category: 英語

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